こんにちは〜、そらまめです!
4日間の春の講座(れんれん=子ども ではなく そらまめ=母 が勉強しに行っています。9時17時で…笑)も、今日が最終日。
だいぶヘロヘロです(笑)
ですが、レギュラーのレッスンとまた違って、久々にお会いするメンバーや、特別な講座の時にだけお会いする方々など、大勢の人の中で普段と違う雰囲気にも刺激を受け、帰ってからの現実(=家事)の数々にも負けずに何とか最終日…といった感じです(笑)
背中や足が筋肉痛になっているあたり、普段(音楽を提供するのがメインなので…なんて言い訳ですね^ ^)、いかに動いていないか…!と自分を振り返るいい機会にもなっています(笑)
今日はソルフェージュ(うたうこと)のレッスンで感じたことにスポットを当ててみようと思います(*´꒳`*)
動きと声と音楽の分析
5〜6人くらいのグループで、さまざまな〝動き〟を、声(オノマトペ)を伴って即興で表現していきます。
会話の形になったり、重なったり、1人だけが表現していたり…、場面場面で変化していきます。
(リトミックを学んだことがない人が始めてこれを見たら、ドン引きされそうですが、色々とドラマがあってかなり面白いですよ(*´꒳`*))
即興的に表現されたものですが、終わったら演じ手、見ていた人みんなで振り返ります。
音楽をシンプルに分析すると、
・imitation(模倣)
・contrast(対比:強い⇔弱い、速い⇔ゆっくり、低い⇔高い など。)
で、できています。
即興的に出てきたグループワークもやっぱり、意識せずともこの2つの要素が出てきました。
で、次のグループからは、それを踏まえて動き&発声しましょう…といった流れになりました(*´꒳`*)
動きながら…動きを見ながら思ったこと
(その後、具体的な音楽の要素へと進んでいくのですが、ここから先は専門的で読んでも楽しくないので、自分のノートに書くことにします(笑))
ここで、他のグループの動きや発声を見ながら、また、自分で実際に表現しながら、そらまめが音大卒業して、リトミックを自分の意思で学び始めた頃(じ、15年ほど前…!?( ゚д゚)数えたくない)とは、表現の質が大きく変わったな…と感じました。
昔は、たぶん〝何をしたらいいか分からない〟感じだったんだと思いますが、例えば、誰かがおにぎりを作る動きをしたら、次の人がそれを受け取って食べてみる…とか、すごく具体的な動きをする人が(新米のそらまめも例外なく)多かったと記憶しています。
見る人や、表現を受け取る相手が、他に解釈のしようのない動きというか…。
それが、15年経ったら、〝腕が滑らかに動いて、それに合う声〟、〝腰を落として力強くジャンプするのに合う声〟……を自然に表現できるようになっていて、同じグループのパートナーも、〝あなたがこれを表現したから、私はこれを模倣しよう〟とか、〝この表現の音の高さを変えてみたらどんな表現になるのか〟とか、瞬時に感じ取って判断していて、感動します。
音楽って
ここに、音楽の本質があるんだなぁ〜と見ていて漠然と思うそらまめです。
音楽は、
「かぶの種をまいたり」
「かぶを引っ張ったり」
「おばあさんを呼びに行ったり」
…と具体的な物事を表現しているわけではなく(そういう音楽もあります。歌詞のある歌とか。 器楽の音楽や、歌詞の伴わない歌は…という表現の方が正しいかもしれません^ ^ 具体的な物事を表現したら、〝文学〟に近くなりそうですね!)、
「かぶの種をどのように蒔いたのか、その時のおじいさんの気分はどうだったのか、種はどんな風に地面に落ちたのか、その時の種に感情があったとしたらどんな感じか」
「かぶを引っ張るおじいさんは、どんな風にかぶを引っ張って、抜けなくて怒りを感じているのか、それとも一人でかぶに立ち向かう孤独を感じているのか、地中のかぶはそこにどのように埋まっているのか」
……みたいな感じのところを表現していくのが音楽の本質で(いまいちうまく言葉にし切れていないけど)、15年前と比べて私たちは少しずつ、本質に近づいてきたんだなぁ、と感じました^ ^
人の声
ワークショップで、〝群読〟(よく、卒業式である、みんなで文章を喋るやつです)を音楽的にやるとどうなるか…というクラスがあり、できあがったものの発表を聴きました(谷川俊太郎さんの詩で、「生きる」です。 まずもう、詩自体がいいです!)。
一人で読む、みんなで読む、繰り返す、増える、低くなる……そのひとつひとつの節。
人の声の美しいこと……!
ソルフェージュ(声を使って歌うこと、表現すること)ってやっぱりいいなぁ、と思いました〜^ ^
また、人が発する声、言葉(言霊?)はものすごいパワーがあると再確認しました。人にかける言葉、声、気をつけようと思います(=特に子育て時。笑)
今日もありがとうございました。