そらまめのおと

8歳&2歳ボーイズの母が綴る育児記録と日々の日記。

8歳の育児。意識してぼーっとすることにしました。

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育児 自己肯定感 自尊心 小学生

こんにちは、そらまめです!

 

我が家、二人目が生まれて子育てが完全にキャパオーバーになりました。

冒頭から何を…という感じかもしれませんが。(^^;

 

上の子、れんさん(小2・8歳)の通学や習い事の日々の送迎をメインにして、送迎をしていない時間にその他の家事やりんさんの遊び時間の確保などがぎっちり詰め込まれているような感覚。

 

りんさんはまだ2歳なので、イヤイヤもするし、時間どおりに行動するなんてもってのほか。

そして、食事や歯みがき、着替えに入浴にトイレなど、生活の基本を覚える時期でもあって、そもそも〝時間どおり〟よりも、〝時間がかかってもいいから興味があるならやってみよう!〟な時期 なんだよね。 しかも一人でできることが少ないからほぼ全て手伝いが必要。

 

 

そんな手間のかかる時期の2歳児がいる中で、生活の基本的な行動が一通りできるようになっているはずの8歳のれんさんが、とにかく動かない(ような感じがする)のです。

 

 

着替えを用意するつもりがテレビをながめてぼーっ。

食事を一口、口に運んでぼーっ。

ピアノの練習に行く前にトイレに行ったまま、トイレから出てこない。

出かける際に靴を履くのにめっちゃ時間かかる…!

学校から帰って来たのになかなか宿題が始まらない。

 

 

おろろぉぉん。

 

 

 

あなたのために送迎しているのに…!

 

りんさんが今 手間がかかるのは仕方がない(2歳だし!)、と心の中で納得している一方で、れんさんがもたもたしているのは納得できない…という気持ちが自分の中にあるのです。

 

 

今れんさんが通っている習い事、通信教材、少人数制の小学校。

全部自分で『ここがいい!やりたい!』と始めたことなのに、なんでこんなにだらだらしているんだろう…こっちは送迎してあげて、待ち時間まであって、りんさんとふたりでなんとか時間をつぶして待っているのに……

 

とか、

 

『○○やった方がいいよ』『△△しないと間に合わないよ』…と毎日毎日、毎回毎回 声掛けしているのに、どうして言われた時にすぐやらないんだろう。しかもやり始めたと思ったのに、なんで超絶のんびりゆっくりなの……

 

とか。

 

 

もう一人の自分が遠くから冷静にこの様を見ているとしたら、多分、勝手に声掛けして 勝手にイライラ爆発している怖いオバサンだと思います。(^^;。

 

 

『10億件の学習データが教える 理系が得意な子の育て方』を読んで、算数がどうのこうの…より気になったこと。

 

www.soramametone.com

 

先日のRISU算数のモニター記事でもちらっと書きましたが、先日『10億件の学習データが教える 理系が得意な子の育て方』を読みました。

www.risu-japan.com

 

その中で、算数がどうこう…というより気になったのがこのあたり。

 

「マニュアル通りに教えたから、自尊心が上がった」のではなく、「マニュアル通りに教えたことで成績が上がったから、自尊心があがった」という関係があると考えるのが自然です。

(WEB版 336ページ)

 

まず、先生が個性を発揮してオリジナルの授業を展開するよりマニュアル通りに教えた方が子どもが伸びるのか…!

ということに驚き。

 

もう一つ、おぉ、と思ったところは、『成績が上がったから自尊心も上がった』のところ。

 

 

マニュアル通りで伸びるなんて驚き。

マニュアル通りに教えた方が伸びる…というのは多分そのマニュアルがとても良いことが前提だと思うのですが、それにしても(!)

日頃、

 

〝人の真似はするな〟

〝オリジナルの指導案以外は認めない〟

 

と言われがちなリトミック指導の常識の中でずーっと生きてきたからさ(笑)

 

え、いいの?マニュアル通りで??本当に…?

 

と思うと同時に、きっとプラス要素があることよりもまず、マイナス要素がないことの方がより大事なんだ、と考えるのでした。

 

長い余談:飛ばしてね(^^;;

リトミックでオリジナルが推奨されるのはおそらく、音楽という分野だけに、先生一人一人が〝何を教えたい(伝えたい)のか明確にしろ〟っていう暗黙のメッセージが込められているってことなんだろうな…と今なら分かります。

 

何を伝えたいのかがはっきりしていれば、生徒さんたちの様子を見ながらどんどん内容を変化させていけるはずだもんね。

 

でも、それを理解するまでに(私は)長いこと迷走したし、これが沢山の先生の間で起きているとしたら、これほどの無駄はないな…とも思います。苦笑。

むっつり顔で腕組みした先生が

「うん、だから何?」

という場面にも遭遇したし、その場でニコニコしているベテラン先生がかげで

「あの人は分かってないね」

と言っている場面にも何度も遭遇しましたが。

 

せめて、

〝何が伝えたいか明確にしてからレッスンプランを立てましょう〟

くらいは先に(むしろ学生時代に)伝えて欲しかったです…と思うなど。

そしたら3年くらいはドブに捨てずに済んだかもね?

 

 

マニュアルがあることでマイナス要素を減らしたりなくしたりできる…って話ならすごく納得します。

…が、今まで〝オリジナルこそ正義〟な環境で生きてきたので、ちょっと目からうろこでした。

 

これからは「いい」と感じたものはどんどん模倣しようと思います。

 

 

できた!と自尊心

『成績が上がったから自尊心も上がった』の部分に対しては、そもそも、成績(→何かができること)と自尊心を結び付けて考えたことがありませんでした。

 

自尊心とか、自己肯定感とかって、〝叱らない子育て〟とセットで一時期(自分の中で)ブームな時期がありました。

(そのくらい、ガミガミ言ってしまう・自分の思い通りに動かそうとしてしまうことが自分の中でずっとループしている…というか、解決できていない問題なのです!

そして、やっぱりそこがうまくいっていないから、れんさん(子ども本人)が自発的に動こうとしていなくて、悪循環を生んでいる…。)

 

 

そのブームになっていた時には、『自尊心・自己肯定感は無条件に与えられるべきもの』として認識されていました。

 

 

で。自尊心・自己肯定感=ものすごいとっつきにくいものとして自分のなかにインプットされました。笑。

(なんか超キラキラしてる…!的な。)

 

 

世の中のできるお母さんはみんな、無条件に子どもに自尊心を与えられるような子育てをしているんだ…!

 

って。

 

自分、母親としての才能は皆無だな、そんなことできないし。

…とも思いました。

 

でも、今まで認識していたのと逆で、

 

何かができる→出来たことを(本人含め家族で)認識する→自尊心が上がる

 

の図式なら理解できるし、これなら取り組みできる…と感じました。

 

 

 

意識してぼーっとすることにします。

で、冒頭の課題に戻ってきます。

 

上の子、れんさんは現在8歳。

日常の生活の動作はほぼ全て、自分でできるようになりました。

 

こぼさないで、箸を使って食べられるし、トイレも自分で行くし、お風呂も一人で入れる。次の日の時間割も揃えられるし、ピアノも一人で練習できるようになった。

 

けど、自分で動けない。いつもぼーっとしている(ように見える)。

全部、言われないと思い出さないし、声をかけてもすぐには取り組まない。

 

 

彼の課題は、

自分がやると決めたことを、自分で考えて動くこと

だと思います。

 

 

なので、全ての「アレやりなさい」の声掛けを全てやめることにしました。

そのかわり、1つでも思い出して自分でできたら、

 

学校の準備、思い出して出来たんだね。

 

…など 声掛けをすることにしました。

 

 

れんさんが幼児の頃から何度も同じ過ち(!)を繰り返しているのでわかりますが、

声掛けし続けても、声掛けしなくても、物事を終える時間に変化はないのです。

(効果のない自己満足ってことか。しかも、効果もないから満足すらしてない(^^;)

 

これまでも「声掛けやめた!」という取り組みは何度かやってきましたが、私の意志が弱くて一時的なものになってしまっていました。

そして、自分のことなんだから自分でできて当たり前…という感覚があったので、自発的に動いても、それを認めるような声掛けはなかなかできませんでした。

(なんなら「今ごろ…?」なんてマイナスな声掛けすらしていた時もありました。)

 

 

でも今回は〝自分から動く〟ことだけにスポットライトを当て、1つでも出来たら認めて声をかける…と自分にマニュアルを作ったので、漠然としたことが苦手な私でも継続できます。

(算数が好き…という理由で始めたRISU算数さんのお試しのおかげで育児の方針について考えるきっかけになり、このご縁には本当に感謝です。)

 

でも、あんまり見つめているとイライラしそうなので、子育てでは意識してぼーっとする…を心がけることにします。笑。

 

 

どんな母親でありたいのかな。

話は変わりますが、私、ずっと女の子を産むと思っていたし、つい最近まで、女の子が欲しかったなぁ…と ぼんやり考えることが よくありました。

(れんさん、りんさんが嫌だ…という意味では決してありません。れんさん、りんさんは出会った(生まれた…?宿った…?)時点でれんさん、りんさん。性別あんまり関係ない感じ。 男の子もいいけど、女の子も欲しかったな、という感覚に近いかな。そして、この先出産予定はもうありません。)

 

あるときふと、自分に対して『なんで女の子が欲しいのだろう、女の子が生まれたら何がしたかったのかな』という疑問を自分で投げかけました。

その答えは、

 

いっぱいオシャレさせてあげて、いっぱいおしゃべりして、彼女が望む習い事は全部やらせてあげて……等々

 

というものでした。

で、あれ?と思ったのです。

 

 

これって、べつに子どもが男の子でもできないことはないよね…?(たくさんおしゃべりしたいかどうかは子どもの気持ちもあるだろうけど)

と。

むしろ、これって、自分が親にしてもらいたかったこと…ってだけの話では?

と。(放置タイプの親…という環境で育ちました。)

 

 

それとこれとは切り離して考える必要がありそうです。

 

自分がしてもらいたかった…と感じていることは、予算や時間を考えながら自分で満たしていくしかないし、どんどん満たしていきたいと思います。

 

…といことでそれは置いておいて。

 

母親としてはどんなふうに子どもに接したいのか。

 

それはシンプルに、幸せな顔をしていたい。

 

ってだけのような気がしています。

 

 

シンプルだけど、今の私にはちょっと難しい課題です。笑。

 

でも、それに向けてちょっと前に進めるかもしれないな…と思いながら、今日も意識してぼーっとして、意識して、できたことを家族で認識し合おうと思います。

 

 

長々と語りました。

さ、はちみつ紅茶飲もう。

子育て イライラ 息抜き

それでは…

今日もありがとうございました!