こんばんは〜、そらまめです^ ^
1月から抱えているこの問題。
だってさ、ね。
今さら〜?( ゚д゚)
…ずっと、
「ふたりめは絶対ない」
と言い張っていたのはそっちじゃなかったんですか〜???( ゚д゚)
以下、そらまめ家の『2人め』に対してどのようなスタンスでいるか、夫婦ケンカ(?)の様子や、その他対策したことなど、〝日本語へたくそ〟な私が書いています。
なにとぞお手柔らかにお願いいたします^ ^
また、それぞれのご家庭で考え方は色々だと思うので、あくまでも一例として捉えていただけると嬉しいです。
れんさんが生まれてから、人生に影響のある病気を2つやったべーさん。
このブログの中でも何度か書きましたが、べーさん(夫)は、
・れんさんが1歳になる前に双極性障害
・約一年前に脳出血(後遺症は右手、右脚に麻痺が残る程度。書きにくいけど字は書ける、長時間は無理だけど歩くことはできる…程度。)
をやっています。
双極性障害、脳出血(→の原因となる高血圧)どちらも、〝体質〟のような解釈で、長い目で見た治療が必要。
双極性障害の薬と、降圧剤を現在も毎日服用中。
減薬・断薬とこどもを持つことに対する夫婦の考え、気持ち
一応、双極性障害の薬・降圧剤ともに お医者さんからは、
「男性が飲む分には胎児には影響がない」
と説明を受けています。
(=べーさんの主治医の先生の言い方だと、「万が一影響があるとすれば〝授からない〟」というようなニュアンスの説明でした。)
が、これまでは、
「そうは言っても、それで万が一のことがあったら、絶対〝薬のせいで…〟、と後悔してしまいそう」
と、どちらかというと躊躇する気持ちが大きくて。
↑もちろん、私もそう思ったけれど、特にべーさんが、これに対しては より強い気持ちを持っています。
薬が減ってきたタイミングで、
「そろそろ大丈夫じゃない?」
という私と
「その保証はどこにあるんだ?」
というべーさんで これまでに数回バトルをしています(^^;;
べーさんの言うことは確かに『正しい』ので、それを言われると反論できません。
このバトルと、年齢的な問題。
それに追い討ちをかけるように起きた一年前の脳出血で、私も諦めがついたというかなんというか。
心の片隅にモヤモヤを抱えつつ、かといってべーさんにこのモヤモヤを伝えるわけにもいかず、心の中で
「リアルれんにゃんに会いたかった〜!」
と叫ぶだけ。この気持ちは墓場まで持っていくんだ…と思っていました。
(二人目のこどもにつけようと思っていた名前をこどものブログネームにするなんて、さぞかし重たいヤツだなって思ったでしょうね。笑。今日しか出てきません^ ^…見なかったことにしてくださ〜い。)
で、(私たち夫婦の思い描いている流れだと)年齢的にいよいよ最後の期間になるかな、と思い、
「時期的に、この半年くらいが最後のチャンスになると思うけど、本当にこのままで…いいよね?」
と最終的な意思決定(←もちろん〝産む〟ことに対してではなく、「授かりたいと思う」ことに対する意思)を確認するためにポツリと聞いたところ、
「もう一人…やっぱりいてもいいかもしれない」
とべーさん。
今も、薬はジワジワ減ってきています。
家を持つこと(経済面)から見た〝ふたりめ〟
これも家族の出来事としては大きかったです。
が、不思議な表現だけれど、うちの場合は家を購入したことで、この先当面の支出の見通しが立ち、ふたりめを前向きに考える後押しになりました。
家を建てる際に、何度かファイナンシャルプランナーさんとお話をしたのですが、生きるのに必要なお金の話を聞けたのも大きかったと思います。
もちろんこの先何が起きるか分からないので、日頃の生活をもうちょっとシンプルにする工夫も必要かな…とも考えています。
減薬と、経済面の見通しが立ったことが、頑なに
「ふたりめ…絶対ない!」
と言っていたべーさんの心を動かしました。
振り返ってみるとこの出来事もべーさんの心を動かした1つの要因かも。
二人の子どもを半日連れてお出かけしてくれました^ ^
ふたりで前を向いてから。
前向きになったところで生まれてくる課題:仕事どーすんのよ?
「やっぱりもう一人…」
と夫婦の意識が同じ方向を向いたところで、〝今、このタイミング〟は私(←なんだかんだで出産する人。メインで育児をする人。)にとっては一番身動きが取れない時期です。
一番大きいのは、来年度の外の仕事のスケジュールは日程までもう決まってる。
そして、二人体制でお仕事をさせてもらっているところは、来年度から相方の先生が変わる…。
今年夏にジュネーブでリトミックのおまつりがあるんだけど、それに行く予定だったんじゃなかったっけ?
などなど…。
そうなの。もう周りにも
「うちは ひとりっこだから…」
とかなり長い期間言っていたの。
だから 周りの人たちも、
「じゃあこの先はお仕事&勉強に力を注げるのね」
という解釈。
自分も周りもそういう風に動いていたわけです(^^;;
後で書きますが、ここで無事に赤ちゃんを授かることができたとして、出産した後も、この歩みを止めることは出来なさそうな雰囲気です…。
もちろん、実際に生んでみたら、考えが変わる…ということもあると思うけどね。
だけれど、教えることを続けるなら、学ぶことも続ける…と自分の中では決めているので、そういう意味でも、
〝仕事どーすんのよ?〟
です。
でもこれは、その時その時で状況が変わるかもしれないので絶対にこう!と決めてしまうことは出来ませんね…。
自宅教室は実家の近く
唯一、この条件だけは私を後押ししてくれます^ ^
れんさんの『小1の壁』に対応するために、自宅でも働けるようにしました。
うちは、私の実家からとても近いので、「いざ!」という時には少し頼ることができます。
身体が丈夫じゃない母なので、いつも…は難しいけれど、これだけでも心強いのは確か。
行っている職場は…
外でお仕事をしている日。勤務先は幼稚園です。
こういう場合、例えば年度の途中で出産したいとき、どうするんだろ??( ゚д゚)
音楽教室のときは、同じ科目の他校舎の先生がいたから、産休を取らせてもらって代講をお願いして…ということができたけど、この職場では、内部で代講の先生を立てることはできません。
来年度の年度末で辞めるしか手はないのかな。
また、授かってから代講の先生を探すと間に合わない可能性があるので(←狭い世界ですね^^;)、普通だったら
『こんなこと、授かる前に相談するのって…どうなの??』
となりそうなこの段階で相談をすることにしました。
(実際、『どうなの?』と思いながら相談しました。)
紹介してくれた大御所先輩
まずは、この職場を紹介してくれた大御所の先生。
4人お子さんがいる上に、大きめの教室を立ち上げた、神さまのような存在です。
べーさんが病気になったのも全部知っているので、
「次のこどもを望むことができるようになった」
ことに対して祝福してくれました。
その上で、子どもの人数が増えると、仕事人としては悩むことが出てくるかもしれないから、臨機応変に幸せを作っていく意識を持つべきかも。
授かっても、授からなくても 次の人に引き継ぐことも考えてもいいかもね。
勉強もしたいでしょ?
フランス語、準備してる??
と言われてしまいました^ ^
勤務先の園の園長先生と事務の先生
こちらは、まず事務の先生に、
「ここの幼稚園の先生って、妊娠&出産の際は、退職される先生が多いんですか?」
という切り口で、園の妊娠&出産に対する空気を探ってみました。
すると、
「園長先生としては、結婚&妊娠&出産の際に、後悔のないように好きなだけ休んでまた戻ってきていい…と言ってくれているけど、実際の状況としては、辞めてっちゃう先生の方が多いかなぁ。 でも、そらまめ先生がそういうことなら、いくらでも対策立てますよ! 園長先生とも話してみてもいいかも。」
とのこと。
後日、園長先生にお会いする機会があったので、お話させてもらいました。
園長先生おすすめのはちみつ紅茶をいただきながら…^ ^
なかなかお会いする機会もないので、出産だけでなく、長期的に見て、できたら留学もしたい…なんて話も交えてお話をさせていただいたのですが。
こども?どんどん生んでちょうだい。
留学?こども連れて??
素敵じゃない!
いざ出産!となったら、お休みしたい3ヶ月前くらいから引き継ぎのためにもう一人先生がいればいいのね。
子育ても、好きなだけお休みしていいし、留学だって、何年でも行ってきてもらっていいと思う。
帰ってきて、もし戻ってきてくれるなら、枠はこちらで用意するわ。
とのこと。
その後偶然にも、園長先生もシャンソンが歌いたいからフランス語を習い始めた…という話を伺いました。
やっぱりすごいアクティブだし、ぶっ飛んでるけど、かっこいい生き方。
人生に後悔のないようにね。
と念を押されてきました。
(↑この先生です^ ^)
不思議な気持ち
というわけで、40歳になるまでに出産予定日が来るように…という期限で、
なかなか授からなかったとしても治療等はしない…という条件で。
自然に授かるのを待ってみることにしました。
自分の気持ちに向き合える、という状況になったこと、とっても感謝の気持ちです。
また、『ふたりめどうする』という課題を通して、べーさんや、人生の先輩たちの〝生きること〟に対する考えを聞くことができて、それだけでももう幸せなことだなぁ…と思っている自分がいます。
それでは、今日もありがとうございました。