そらまめのおと

8歳&2歳ボーイズの母が綴る育児記録と日々の日記。

『あなたにはフレーズ感がない』で憑き物が落ちた日記②

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毒親 子育て ピアノ

こんにちは、そらまめです!

 

昨日の記事の続きです。

www.soramametone.com

 

 

 

からっぽになって、何も手につかなくなりました。

頭のどこかでは自分が〝誰かに何かを伝えたい気持ち がない〟ことを分かっていたのだと思います。

 

自分に『そもそも主張したい内容がない』という結論に、あぁ、やっぱりね。…と思いました。

 

そして、もう一つ言われた

『重心が上にありすぎて軽い』

もフレーズ感がない(=主張したい内容がない)、とほぼ同義になる気がします。

 

 

主張したいことがない…はちょっと違うかな。

言いたいことは多分あると思います。

 

うっすいけれど。

 

 

あまり意識していなかったのでうまく言葉にならないけれど、その『主張しない』自分は社会に適応することに、精いっぱいだった…という感覚があります。

 

自分の感情を持たずに、その空の自分の感情ボックスに だれか他人の感情や主張を入れて、それに合わせることで社会に適応しているフリをしていた、、、ようなイメージかな。

 

 

フレーズ感がない

…と言われてから 結局何も手につかなくなり、1か月ほど、寝て、本を読んで、お料理をしていました。

でも、自分の感情ボックスに、あえて誰の感情も主張も入れなくなって、結果的には良かったかな。と感じているところ。

 

読んだ本の中で良かったもの

普段、あまり自分のために何かをする時間は取っていなかったのですが、これまで、仕事のためとか、子どものため…と駆り立てられるように使っていた時間を少し改めて、今の自分のヒントになりそうな本を読む時間に当てました。

自分にとって、自分を客観的に見つめ直すのに良かった本のタイトルだけばーっとあげます。

(まだ数冊興味がある本もあって、図書館で順番待ちをしているのでここは今後ちょっと増えたり減ったりするかも。)

 

 

 

 

 

幼少期のクセをなおすのは難しい。

上記の本を読んで、ざっくり思ったのは、子どものころ自分が感じ取っていた、主に母親に対する違和感は間違いではなかった…ということでした。

それが分かっただけでもちょっと軽くなった感じがします。

 

もう今はいない母親との親子関係の話になりますが。

 

自分の子ども時代の育ってきた環境が、おそらく 放置タイプの虐待に近いものだったのだと思います。

冷蔵庫の食材を使うことは許されていたし、学校で使うものも買ってもらえていたので表面上は普通の子どもでしたが。

 

私の母親は、宗教・買い物・宝石・アルコール・たばこ・薬(鎮痛薬)・食事を摂らない……など ひとつにどっぷり、というわけではありませんが、その時その時で 依存できるものはひととおり経験していたように見えます。(さいご、母親の命を持って行ったのもアルコールが原因でした。)

 

その中で、家庭の方には全く目が向いていませんでした。

要するに母は 私たち子どもに興味がなかったのです。

 

 

先ほど読んだ それぞれの本の中では、言葉は違えど

子どもが育つには『共感』が必要

だと書かれていて。

 

 

うわ、共感…。汗。

自分の子どもたちにはできていない

 

 

…と感じるとともに、子どもの頃の記憶が一気によみがえってきました。

 

私が ネガティブな感情や態度を出せば 母は当たり前のように不機嫌になり、時には怒り、『勝手にしなさい』と突き放したり。

そして、なにか嬉しいことがあったり、友達と遊んで楽しい気持ちのまま家に帰ってきても、母はその日の体調等によって、ほとんどの場合不機嫌な顔で鎮痛薬を飲んでいたり、または無関心でした。

 

私にとって家はものすごく不安な場所でした。

自分がどんなにいい子にしていても、母の態度は母のその日の体調や気分で決まるので(そして、母の体調がいい日はほぼない…そのことにもっと早く気がつけばよかったです。笑。)、心の休まる時間がない。(小学生で不眠症にもなりました。苦笑。)

 

で、そんな家庭に適応するために 自分がとった行動は、

『気配を消す、感情を消す』

だったのです。

普通だったら親が喜んでくれるはずの お手伝いも、本当に喜んでくれる保証がないので、調理や掃除、洗濯など家事は本当によくやりましたが、だいたい母親が留守にしているときにやっていました。

勉強も、机に向かって静かにしていれば気配を消すのにちょうどよかったので割とよくやっていたなぁ。

 

その頃の習性がいまになってもずっと続いています。

 

 

他人に興味の無さそうな上司(職場)を選び、

陰で他人とコミュニケーションを取らずに努力を続け、

その頑張りは当然 誰からも気づかれることなく、

なおかつ、その努力の内容のほとんどは自分の興味や意志から湧き出るものではないので途中で疲れ、

なにかのタイミングで嫌になってその場を去る。

 

これだ!書いていてしっくりきた。

これを ずーっと繰り返していました。

 

家庭でも交友関係でも、これに近い感覚は常に持っているかも。

周りに対して自分は常に下。

共感する能力を全く持っていないわけではないけれど、それを表に出したら否定される(と思っている)ので、全部お察しで動く。

 

この 自分の存在を隠したまま行動するクセが、

重心軽すぎ&フレーズ感乏しい

につながっていそうです。

そして、ここを解決できたらもうちょっと表現しやすくなる気がします。

(ただ、人前で感情を出すことにものすごく恐怖感があるので課題も大きいですが。)

 

 

 

私自身は 子どもに接するとき、ついついポジティブな感情(状態)はOKだけれどネガティブな感情はダメ…になってしまいがちだな。

それはそれで問題だよね。

 

 

たくさん共感してもらう経験をして、周りの人に共感できるようになったら、それが大人になったってことなのかな

…というのが上記の本をよんだざっくりとした感想。

 

時間はかかりそうですが、取り組んでみたいな と思っています。

 

 

余談ですが、自分の幼児期の話は とある一例にすぎないとして。

今の日本の子育て環境では、こういうの、そこまで珍しいわけではないようだ、ということも 本を読んで知りました。

 

それで、今、読んでみたい本はこれ。

逝きし世の面影の中の「第十章 子どもの楽園」の部分。

日本の子育てが今とは全く異なっていた時代があったらしい。

 

読むのが楽しみです。

 

 

まだ 続きます。
今日もありがとうございました!